atelier marronではハンドメイドコスメや絵画、工作などいろいろな取り組みを行っています。そんな楽しい毎日を出来るだけ紹介したいと思います。
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ことばの奥にあるもの
コンパスのある、パルマを打とうとするとき
心のなかで、伝えようと、気持ちの手綱をギューット引いて
心から投げ掛ける。
不思議と、こんな 支離滅裂な私でも、心で語れた時は、みんなに通じるパルマが打てる。

心で念じるって…
そんなことでやりたいことが具現化するの?


私、逆やと思う。
心に念のない所作は 大袈裟に見えてもなにもない。

ことばも同じ。

念のないコトバは 大袈裟に見えてもなにもない。

だって、その奥にある見えないものが、見えないどころか空っぽなんだから。

私たちの身体や言葉は
心のなかを共有するために進化した。
三原色を見分ける力は、顔色を見るためなんやて…
人と何かを共有したくて、身体の能力を進化させてきた動物。ヒト

心は何を感じていますか?

対抗心や支配欲
共依存やその場しのぎの嘘の共感。
それらが作ったコトバの奥に本当の心は宿っていますか?




flamenco - -
二つの目

私は普段 からだの内側に立って 二つの目という窓から
外を見てる。
おそらく、現象として起きてることは一つなんだろう。
けれど、内側に立つ自分の気持ち気分次第で、
見え方が変わる時がある。

時制によっても、見え方が変わる。
過去から見た その時の 世界。
今 見ている世界。

目を閉じたとき それらの景色は よみがえる。
いろんな景色。そんな旅。
どの景色も 思い出となれば 素晴らしい。

正誤ではかれない世界

同じ世界。なのに 自分の二つの目でさえも
違う世界を見せてくれる。

きっとあなたも。あなたも。それぞれに・・・

景色は移り変わる。ただそれだけのこと

 
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あまえる

甘えるってなんだ?

友人の言葉で膨らむ疑問

甘えるのすごく苦手で なんでも自分でやったほうが早いって思っちゃう…
甘え上手な人は 自分でやり遂げない いい加減な人くらいに思ってた。

でも…
甘え上手な妹を観察していると

わかったこと

結果がどうであれ とても喜んでくれる えへへ
思ったの違ったら
こう言うのが欲しかったんだと
リクエストしてきた挙句  え〜!!
もう一度作らされる…

あれ??しらん間にその気にさせられてるやん…

何やかやというても 貴女の為ならシャアないなあ…って
また作っちゃってる。


甘えるって 相手の懐に飛び込むこと


自分のたけが相手よりも高ければ 懐には入れない。
私が苦手だったのは甘えることじゃなくて

相手との間に優劣がないことを受け入れることだったんじゃないか?


頼る 甘えるは 人におまかせする 懐の深さ

実は甘えて来たほうの懐に入れられてるのかも…

なんて



*



 
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呪いの言葉
お願いだから呪いの言葉をかけないでください。

生きてたら 人生 いろんなことがあるけど

いろんなことが起きるだけのこと

私には 大変でも 苦難でもないの

淡々と歩いていくだけのこと


一か月先が見通せる収入があって

今日一日贅沢でなくていいからごはんがおいしくいただけて

この瞬間 子供を深く愛し

目を閉じれば 周囲の人の温かみを感じれた


それだけでいいのです。

私はそれだけで幸せなのです。


今年も今までどおりに 生きていく

私の言う意味が わからなければ言葉をかけず そっとしておいて





悲しみも さみしさも 怒りも 自分が手放すことさえできれば

何にも縛られない 自由な自分でいられる



ホントハネ・・・

呪いの言葉も 私の体をすり抜けるだけ




***
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otonaの気持ち
殿の友人の大工さん

人って、自分よりも未熟なところで 頑張ってるうちは、
『がんばれ!がんばれ』って言うけどな

ちょっと抜きん出てきよったら、なんや!って急に目障りになったりするもんや…

わしは、大人になったらそういう気持ちはなくなるもんやと思ってたけども、
大人になってもきえへんねんなぁ…

簡単に自然にさらりと言わはった言葉が心にぐっときました。
なんて、正直な人…...
自己分析ができ自分を直視した上で
そういう自分も認めてないと他人にそんなことなかなか言えないょ…

先に告白してもろたから私も言えるけど、
そういう気持ち持っています。

いかにも自分が正当であるかのように自分の気持ちをデコレーションして
相手を批難したり されたりね…

認めたくないけど(w)


たいそうな気持ちのように見えて

突き詰めていくとこういうシンプルな感情であることがほとんどなんやろな


それにしても、
こういう自分に誠実な人の建てる家は誠実な施工で間違いない!
と改めて思いました。

 
yoga - -
世界の広がり方
なんか 世界の広がり方って書いたけどすごい大層なことのように見える・・・

いつもの月曜日☆

「心のままに踊ればいいねん」って
「自分が自分にかけた ちゃんとしなあかんって マインドコントロール解いてよ!」って

そやねん!ホンマにそやなあnaomiセンセ
自分がかけた魔法は 自分にしか解けへん

自分で何とかするしかないんや〜!

ってちょっと吹っ切れると(まあ、あれでもそう感じ取ったんですわ)

ぼわんて気持ちが体を駆け抜けて 空気があったまるみたいに
自分の周りが広がるような感じ・・・一瞬だけ

あ〜!この感じっ

な〜んか突き抜けて行きたいな!とか吹っ切りたいなって
思うことがあるけれど それって
自分の中をどんどんどんどん突き進んでいくことで
自分のカラを破って自分でない所へ飛んでいくことじゃないのかも・・・

階段を上がるみたいにステージが上がると眼下に見える世界が広がって
自分の派動が合わない人とは生活の中ですれ違わなくなるとか
聞いたことがあるけれど

自分の世界が広がることって
そんな二つの目でしか見えないような狭い世界とちごて
もっともっと広い
後ろも前も上も下も壁の向こうも全てがクリアに
広がって 派動も糞もない
自分も他人の境目も
ひょっとしたら見えなくなって すべてが一つに見えるような
もっともっと広がる空間  なんと違うかな・・・?

とふと思った

いつか 100%感じて 見てみたいな〜!








 
flamenco - -
舌先三寸
 聖書  12章  ええ木とあかん木の巻

「人の口っちゅうもんはな 心の中で溢れとるもんが出てきよるもんなんや。
善人はええもんを入れた倉からええもんを取り出すし
悪人は悪いもんを入れた倉から悪いもんを取り出すもんや
言うとくけど人は自分の話たつまらん言葉についても
裁きの日には責任を問われるんやで
あんたらは、自分の言葉で義とされるけど
自分の言葉で罪のありとされるんや」

なんだか妙に納得

ええもん
悪いもんの定義
吐いた言葉の罪は横に置いといて

腹の中のもんが口から出てくるっていうのは ほんとにそのとおりやなって思う。

いくらボキャブラリーがあって
綺麗な言葉を連ねても

心を隠して言葉で取り繕っても

拙いカタコトで一生懸命さだけで話しても

腹の中はあけすけで 付き合えば付き合うほどに
見えてくる。

見えてきた時に いいか 悪いか

そんなことは自分にとっての尺度でしかないということも

見えてないといけない(法話と珈琲より)




結局腹の中が 合う人は合うし

合わない人も いる



人付き合いも 難しいことのように見えて

ものすごく シンプルな事なんやなあと 思ったんです。


そして目は口ほどに物を言う
腹の中は口だけでなく
目からも放出…

裏も表もあってもいいけれど
どちらの面も 誰に見られてもいい 腹の中でいたい


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会話の癖



私はこう思う。
と意見があるときに付け足すのは癖です

あなたの意見はそのままで…

という意味なんだけどなあ

会話で相手の意見を掌握してコントロールしようなんて
ちょっと笑っちゃうし

違う意見なのにうんうん頷くのも
嘘付いてるみたいでイヤ

あなたはあなた
わたしはわたしで

全部の話し合いに折り合いなんてつかなくて
当たり前

私は私はって
君の意見なんて聞いてない  な〜んて、
じゃあ だれに話してたん?

私  おばけちゃうで








*

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訳された書物
評価:
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データハウス
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(2004-02)
コメント:わかりやすいか?わかりにくいか?とにかく初めて読むにはとっつきやすい本でした

 
先日 牧師様とキリスト教と浄土真宗について話をした時に
どうやらその教えの差異を紐解く鍵は訳にあるのではないかと…

そういえば、その1週間前くらいに 行った バガヴァット ギーターを
読み解く勉強会でも 日本語訳のギーターの詩の同じ小節を
訳者によって比較すると随分と違う趣になったなあ…

サンスクリットの直訳の方が私は心にスッと入ってきます。
どうやら 母との会話はサンスクリットに近いような…?
夫や父親から会話の意味がわからん…とよく言われますが
私達母娘はしっかりと通じ合っている。

ひょっとしてバラモンの血が流れているのかしら?なんて…

そういえば、2日ほど前に とっても気になった蘭亭の超訳も
このことにものすごく通じているような?


最初の取っ掛りとしては訳されたものはおおよそ何が書かれているかが
わかって 良いんだろうけれど
深く理解をするには原文を読み解く力が必要なのかなあと

なかなかいろんな言語を習得するのは大変ですので
いろんな訳者が出している同じ本を読み比べすることから始めようかな…

というわけで聖書はこの大阪弁の本を(牧師様のおすすめでもありますので♪)
そしてギーターの二冊目は岩波のモノを選んでみました。


しかし、これらの書物は答えを与えてはくれないということも
はっきりとわかりました。

これらは ヒント であり、

ヒントを受け取り自らがどのように 考え 行動に移していくのか

その答えは自らのなかにある。

知恵は授かるものではない。
自らの中にあり磨くもの。
 

そして宗教哲学を学ぶときにそれらの歴史を見てみると
源流がどこにあるのかがよくわかる。

リグヴェーダはまるで ビートルズのようだなあと思う今日この頃です。
お勧め Book・・・ - -
身体を支配するもの  パルマに教わること
 

先週naomi先生 フラメンコレッスン

「一生懸命になりすぎて肩に力が入ってる
カラダが自由にならへん状態になってるの気づいてる?」

うん〜気づいてる
間違えへんように・・・とか
次は右で〜とか?何回も何回も繰り返し言われてることやのに

振りに振り回されて何を今 感じて感じたいのか
見失う  もうダメ・・・

肩に力が入って一生懸命の方向がぶれてくる



今週

「肉体に支配されてるねん。反対やで!
魂が感じる喜びが指の先から溢れてくるのよ。
自分が感じた事をすっとばした踊りに楽しみがどこにあるのよ?」


う〜ん
そう
今を感じて楽しむだけでいいのんわかってる
頭が邪魔して思うように体がこころと繋がらへん

今感じてる心を踊る
そのことを実行しようと思ったら
人の目や 人の価値観を気にしてたら出来ひんな

気にする私ではないはずやのに

なんで意のままにならへん!?

自分を信じきれてないのかなあ〜

などと考え出すとほらまた・・・


まあ とにかく楽しも

いろんなこと考えるよりも
まずは動いてみよか〜

と、毎度のことですが・・・
いつの間にやらフラメンコのことなのか、日常のことなのか・・・?




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